『新建設業を考える』をテーマとして考え続けます。
2009年

平成17年7月23日

間近にある国の韓国人と日本人との違いがよくわかる様に書かれている。
ワサビと唐辛子、半島と島国、儒教と仏教など対比して書かれて日本人の私に振り返るとやっぱり自分自身日本人だとよけい感じるところを発見しました。竹島問題で韓国人が抗議のために指を切り落とした騒動がありました。どうして指を切って抗議したのかわかりませんでしたが韓国人が興奮しやすく能動の姿勢とみれば納得する行動だと思います。日本人の場合では、行動に対する非礼の儀式としてやくざ世界で指を切断することがありますが相手の抗議のためにするのでなく自分の行動に対しての受身的な行動だと考えます。
戦争責任に対して韓国人の『恨(はん)』という考えが根底にあることには驚きました。韓国人は恨(はん)を溶いていくことが美徳となされているのである。逆に日本人は、「もののあわれ」に例えるように自然にあずけるというか他力の考えである。韓国人の『恨(はん)』は、自分でなんとかしようとする心情があるためである。また、日本人には「なるようになる」とか「自然の成り行き」と考え対立関係が終わりを告げると「過去は問わない、すべてを水に流そう」という倫理によって和合し、自然力に任せて生きようと考えるから1945年の敗戦で、日本人はいったん死んでいるのである。こうした歴史観は、他の諸国には容易に理解できないから、いまだに、謝罪していると思われていない現実がここにあります。
日本が世界的に特異な「平等共同体」や「一億総中間層」であり国民全体を五つの所得階層に分けて最上層と最下層の所得格差は、アメリカで12倍、フランスは8倍で日本が4倍程度という。また、地域生活が平等ということはアメリカの場合では、州ごとに違うことを考えると日本という国は、よりすばらしく見えてきます。また、日本のムダなシステムが平等確保のために必要なシステムであるがこれからは、ギチギチの能力主義となり差別社会が進んでいくに違いないと思います。ただし、日本人は、あまり上流を好まなくまた、他人に気配りを欠かさず、礼儀を重んじ、つねに謙虚な態度をとり続けることを自覚すれば能力主義、差別社会の抑制となるのでないかと思います。

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